日本では、かなり古い時代から酒が飲まれてきました。
古代の文献にも酒は登場し、神事や祭礼にも酒が使われています。
日本の食文化や宗教儀礼を考えるうえで、酒を切り離すことはできません。
では、日本人は古代から、
- 仕事が終わったから一杯
- 夕食と一緒に晩酌
- 今日は一人でゆっくり飲もう
と、現在と同じように酒を飲んでいたのでしょうか。
答えは、そうではありません。
酒を飲む文化そのものは古い。
一方で、飲みたい日に酒を買い、自分の好きな量を、自分のペースで、一人でも繰り返し飲むという習慣は、長い時間をかけて成立してきました。
この記事では「日本で酒がいつ造られ始めたか」ではなく、日本人は、いつ、誰と、どんな理由で酒を飲むようになったのか。
その「飲み方の歴史」を追います。
その手がかりになるのが、1939年に民俗学者・柳田國男が発表した「酒の飲みようの変遷」です。
1939年、柳田國男は「酒の歴史」と「飲み方の歴史」を分けて考えた
柳田國男は「酒の飲みようの変遷」で、酒を飲む風習そのものは非常に古い一方、その飲み方は時代によって大きく変化してきたと論じています。
柳田が特に注意を促したのが、「以前の日本人も、1939年当時の人々と同じように毎晩酒を飲んでいた」と考えてはいけないという点でした。
※現在の私たちから見れば、1939年の柳田自身もすでに87年前の人物です。
そのため、この記事では「昔」という言葉で一括りにせず、古代、中世、江戸後期、明治期、昭和戦前期など、可能な限り時代を具体的に示します。
柳田が考えた飲酒文化の変化を、大づかみに整理するとこうなります。
祭礼など、酒を飲む日が決まっている
↓
皆で同じ酒を飲む
↓
酒が商品として流通する
↓
飲みたい日に酒を買える
↓
自分の盃、自分の量、自分のペースで飲む
↓
独酌や晩酌が日常生活に入る
ただし、これは1939年に柳田が提示した民俗学的な見取り図です。
すべてを歴史的事実としてそのまま採用するのではなく、他の研究や数量データ、当時の人々が残した文章と照らし合わせてみます。
古代の酒は、一般の人にとって日常の飲み物ではなかった
古代日本にも酒はありました。
宮廷では祭祀や年中行事、宴などで酒が飲まれています。
一方、醸造学者の佐藤和夫は、日本の飲酒史を整理する中で、一般の農民にとって酒は貴重なものであり、冠婚葬祭や祭礼など、「ハレ」の日に飲むものとしての性格が強かったとしています。
ここで区別したいのは、「社会に酒が存在する」ことと、「一般の人が日常的に酒を飲める」のは、別であることです。
現代なら、飲みたいと思えばスーパーやコンビニへ行けば酒を買えます。
しかし、自家醸造や限られた生産に依存する社会では、「今日は飲みたいから一本買おう」という行動自体が成立しません。
酒は、人々の気分だけではなく、祭礼、季節、生産、共同体の行事と結びついた飲み物でした。
日常的に飲まなかったからといって、酒量が少なかったとは限らない
ただし、古代や中世の人々が現在ほど頻繁に酒を飲んでいなかったからといって、「当時の人は酒を控えめに飲んでいた」とは限りません。
柳田は、酒を飲める機会そのものが限られていた一方で、飲む日には人々が集まり、かなり盛大に飲んだのではないかと考えました。
大まかに表現すれば、「祭礼を中心とした飲酒= 低頻度 × 集団 × 一度には多く飲む」という形です。
現在よく見られる、「晩酌= 高頻度 × 個人または少人数 × 自分で1回量を決める」とは構造が違います。
この記事で言いたいのは「以前の日本人の方が健康的だった」ということではありません。むしろ、一度に飲む酒量は多かった。
同じ酒でも、飲む頻度と飲み方が違ったということです。
酒は「皆で同じものを飲む」行為でもあった
柳田が注目したもう一つの変化が、共同飲酒から個人飲酒への移行です。
祭礼や宴席では、一つの大きな盃を回して飲む。
同じ酒を同じ場で飲むことには、単に喉を潤したり酔ったりする以上の意味がありました。
同じ集団に属する人々が酒を共有し、宴を共有する行為でもあったわけです。
三献や三三九度など、酒を介した儀礼にも、こうした共同飲酒の痕跡が残っています。
現在では、一人一人にグラスがあり、自分の飲む量やペースは基本的に自分で決めます。
この「自分のコップ、自分の酒」も、最初から当然だったわけではありません。
13世紀ごろ、都市では酒が「買える商品」になっていく
鎌倉時代になると、京都や鎌倉などの都市で酒造と酒の販売が発達します。
1252年、鎌倉幕府は酒造を制限する「沽酒禁令」を出しました。
月桂冠が紹介する史料では、この際、鎌倉にあった酒壺のうち3万7,000個以上が破壊されたとされています。
規制しなければならないほど、都市には酒が存在していたことになります。
さらに中世から近世にかけて、
- 酒造業
- 酒屋
- 樽
- 保存技術
- 輸送
- 小売
が発達していきます。
ここで酒との付き合い方を大きく変える条件が整います。
「酒を飲む日だから酒がある」から、「酒を飲みたいから酒を買う」への変化です。
1795〜1801年の江戸には、人口1人あたり1日約155mLの清酒が流入していた
江戸後期になると、都市の酒消費はかなり巨大になっています。
食文化史研究家・飯野亮一氏が紹介する記録では、1795〜1801年に江戸へ入った「下り酒」と「地廻り酒」は、年間平均約92万9,500樽でした。
これを当時の江戸人口100万人として単純計算すると、総人口1人あたり、1日約155mLの清酒に相当します。
一合は180mLなので、約0.86合/人/日。
しかも分母には、子どもや酒を飲まない人も含まれています。
※もちろん、「江戸市民100万人が毎日155mLずつ飲んでいた」という意味ではありません。
江戸は単身男性が多い特殊な大都市だったため、飲酒量にも大きな偏りがあったと考えるべきです。
それでも、18世紀末の江戸では、酒がすでに祭礼だけの飲み物ではなく、巨大な日常消費財になっていたことは分かります。
1811年、江戸には居酒屋が1,808軒あった
酒を飲む場所も増えていました。
1811年、江戸の町年寄が調べた飲食関係の商売人7,604軒のうち、24%である1,808軒が居酒屋でした。
居酒屋には、日雇い労働者、駕籠かき、車力、奉公人、下級武士なども訪れていました。
予算に応じて酒の量を指定して注文することもありました。
ここまで来ると、古代の祭礼酒とはかなり違います。
働く生活者が、日常の中で金を払い、自分の飲む量を決めて酒を飲む。
現在の外飲みにかなり近づいています。
ただし「江戸で大量に酒が飲まれた」ことと「毎晩の晩酌」は同じではない
江戸へ大量の酒が流入していたからといって、現在と同じ家庭晩酌がすでに完成していたとは限りません。
- 誰と飲むのか
- どこで飲むのか
- 何のために飲むのか
- どれくらいの頻度で飲むのか
これらは別々に考える必要があります。
そこで重要になるのが、晩酌の歴史です。
「今日も働いたから一杯」という酒が生まれる
飯野亮一氏の『晩酌の誕生』は、
- 独り酒
- 農民への晩酌の普及
- 寝酒
- 夜間生活
- 居酒屋
- 江戸の晩酌文化
などを追っています。
面白いのは、酒だけではなく夜の生活そのものが変化している点です。
- 灯火が普及し、日没後にも人々が活動する
- 夜に営業する飲食店が現れる
- 仕事を終えたあとにも、人が自由に使える時間が生まれる
現在なら当然に存在する、「一日が終わった後の時間」そのものが広がっていきます。
柳田國男も、各地に残る労働後の慰労酒に注目しました。
鹿児島や熊本などで使われる「ダイヤメ」「ダリヤミ」といった言葉も、その一例です。
飲む理由が、「今日は祭礼だから」から、「今日も一日、頑張って働いたから」へ広がる。
ここに、現在の晩酌へつながる発想が見えてきます。
1899年、正岡子規には「いつもの五勺」があった
明治期になると、当時の人々自身の文章から「個人の酒」がかなり具体的に見えるようになります。
1899年、正岡子規は学生時代の酒について書いています。
友人と、普段から行っていた神保町の洋酒屋へ行く。
そして子規には、「自分は五勺飲むのがきまり」という普段の酒量がありました。五勺は約90mLです。
その日は一合、約180mL飲んで酔い、翌日の試験で100点中14点を取ったという笑い話なのですが、今回重要なのはその失敗ではありません。
「自分は普段これくらい飲む」という個人単位の酒量が存在していることです。
問いが、「今日は酒を飲む日か」から、「今日は何合飲むか」へ変わっています。
1930年代、山頭火は「独酌」を楽しんでいた
種田山頭火の日記には、さらに個人的な酒が登場します。
1934年、句集が一冊売れて75銭が入った日、山頭火は、
- 米二升:46銭
- 葉書:9銭
- 焼酎一杯:10銭
を買っています。
米、郵便、酒。
酒が完全に日常生活の支出に入り込んでいます。
山頭火の日記には「独酌」という言葉も繰り返し登場します。
1937年の元日には、午前9時に庵へ帰って一人で酒を飲み、その後知人宅でも飲み、夜には仲間とまた飲んでいます。
山頭火はかなり特殊な酒飲みなので、昭和戦前期の日本人全体を代表する人物ではありません。
しかし、一人で酒を飲み、その時間や酔いそのものを楽しむという飲み方が本人の日常として記録されていることには意味があります。
共同体の酒とは明らかに違います。
1936年、坂口安吾は「どの酒がおいしいか」を選んでいた
坂口安吾の1936年の随筆『新潟の酒』では、
- 銘柄
- 産地
- 値段
- 東京で飲む酒との違い
- 味
が細かく比較されています。
ここでは、「酒で酔えるか」だけではありません。
「どの酒がおいしいのか」を消費者自身が選んでいます。
酒が単に酔うためのものではなく、銘柄や品質を比較して楽しむ嗜好品になっていることが分かります。
現在の日本酒やクラフトビールの楽しみ方にも、そのままつながる感覚です。
1939年前後には「毎晩二合」が生活の話として登場する
佐藤垢石の『濁酒を恋う』には、さらに現在に近い記述があります。
酒一升の価格が3円から6円へ上がりそうだという話から、晩酌を二合飲んでいた人は、一合に減らさなければならないという話が出てきます。二合は約360mLです。
値段が2倍になるから、毎晩の酒量を半分にする。
これは祭礼でも宴会でもありません。
完全に家計と日常生活の話です。
同じ文章には、酒を飲むことを楽しみに毎日仕事をしている人物も登場します。
働く→ 一日が終わる→ 酒を飲むという、現在とほぼ同じ晩酌のリズムが見えてきます。
戦時中には、一升瓶を15日に分けて毎日飲む人もいた
太宰治の『禁酒の心』には、戦時中の配給酒をめぐる興味深い描写があります。
一升瓶に15等分の印を付け、毎日一目盛りずつ飲む。
一升は1,800mLなので、1日約120mL。
注目したいのは量よりも、飲み方です。
酒が希少なら、手に入った日に皆で飲んでしまうこともできます。
ところが、この人物はそうしない。
15日間、毎日飲めるように配分する。
酒はすでに、「酒がある日に飲むもの」ではなく、「毎日の生活リズムの中で飲むもの」になっています。
戦後、日本人の飲酒量はさらに増えた
戦後になると、全国的な統計で飲酒量を追えるようになります。
成人1人あたり純アルコール消費量は、1日換算で
- 1965年:約12.5g/成人/日。
- 1990年:約17.9g/成人/日
まで増えました。
同じ研究では、飲酒者と推定される成人の割合も、
- 1965年:43%
- 1990年:67%
へ増えています。
戦後の経済成長と生活様式の変化の中で、飲む人そのものが増え、1人あたりのアルコール消費量も増えた時代でした。
1992年度、日本の酒類消費はピークを迎えた
国税庁の統計では、成人1人あたりの酒類消費数量は1992年度に、約279mL/成人/日となりました。
これは酒類製品そのものの量なので、日本酒、ビール、焼酎などを合計した数字です。
先ほどの純アルコール量や、江戸後期の清酒155mL/人/日とは、酒の種類も分母も異なるため、直接比較はできません。
それでも、1990年代初頭が日本の酒類消費の一つの頂点だったことは明確です。
2024年度は約205mL/成人/日まで減っている
その後、日本の酒類消費は長期的に減少しています。
国税庁の最新統計では、2024年度の成人1人あたり酒類販売数量は、約205mL/成人/日。
1992年度の約279mL/日から、およそ27%減っています。
また、週3回以上飲む「習慣飲酒者」の割合も、男性では長期的に低下しています。
「最近の日本人は酒を飲まなくなった」という現象だけを切り取るのではなく、誰が、どのくらい、どんな場面で酒を飲むかが、再び変わっていると見る方が歴史的には自然です。
日本人の酒との付き合い方は、ずっと変わってきた
ここまでを並べると、日本人の酒との関係には一つの固定された形がなかったことが分かります。
-
古代
- 祭礼やハレの日と強く結びついた酒。
-
中世の都市
- 酒屋が発達し、通常の日にも酒を買えるようになる。
-
江戸期
- 大量の酒流通と居酒屋文化が成立し、独酌や晩酌も広がる。
-
明治〜昭和戦前期
- 「自分は五勺」「毎晩二合」「独酌」といった、個人単位の酒が文章に普通に登場する。
-
戦後〜1990年代
- 飲む人も、成人1人あたりの飲酒量も増える。
-
1990年代以降
- 酒類消費は長期的に減少する。
この歴史を見ると、
「日本には長い酒文化がある」ことと、「日本人は古代から毎日晩酌してきた」ことは、まったく別の話だと分かります。
1939年の柳田國男が見ていたもの
改めて柳田國男へ戻ります。
「酒の飲みようの変遷」が面白いのは、酒を最初から良いものとも悪いものとも決めていないことです。
酒を飲む文化そのものは古い。
しかし、その飲み方は変わってきた。
だから、現在の飲酒習慣を、「日本人はずっとこうしてきたから」と当然視する前に、その飲み方が、いつ、どうやって成立したのかを考えてみよう。
柳田は、1939年にそう問いかけました。
87年後の現在から振り返ると、彼が生きた後にも、日本人の酒との付き合い方は大きく変わり続けています。
酒文化を残すことと、飲み方が変わることは矛盾しない
酒には、アルコールだけでは説明できない楽しさがあります。
- 人と酒を酌み交わすこと
- 料理と合わせること
- 香りや苦味、甘味を味わうこと
- 銘柄や造り手の違いを楽しむこと
- 一日の仕事を終えたあと、飲み物を片手に気持ちを切り替えること
こうした楽しみ方そのものも、日本人は長い時間をかけて作ってきました。
だから現在の酒類消費の減少を、「日本の酒文化が失われている」とだけ捉える必要はないと思います。
- 祭礼の酒から、日常の酒へ
- 皆で回す盃から、自分の猪口へ
- 宴の酒から、晩酌や独酌へ
- 酔うための酒だけでなく、味や銘柄を選ぶ酒へ
そして現在は、アルコールを飲む日と飲まない日、アルコール入りと0.00%を自分で選ぶこともできます。
日本人の酒との付き合い方は、ずっと変わってきました。
これからまた変わっていくことも、長い歴史から見れば不自然なことではありません。
主な参考文献・資料
-
柳田國男「酒の飲みようの変遷」『木綿以前の事』
-
佐藤和夫「日本人の飲酒動態」日本醸造協会誌
-
飯野亮一『晩酌の誕生』
-
キッコーマン国際食文化研究センター「江戸の居酒屋文化」
-
月桂冠「日本酒造史」「日本の飲酒文化」
-
正岡子規「酒」
-
種田山頭火『其中日記』
-
坂口安吾「新潟の酒」
-
佐藤垢石「濁酒を恋う」
-
太宰治「禁酒の心」
-
国税庁「酒のしおり」「成人一人当たり酒類消費数量の推移」
-
厚生労働省「わが国の飲酒パターンとアルコール関連問題の推移」