2026年10月、ビール系飲料の酒税が一本化されます。
これを機に、そもそも日本の酒税はどのように始まり、酒造業界はその税制とどう付き合ってきたのか、少し調べてみました。
最初は、税率がどう変わってきたのかを追うだけのつもりでした。
ところが調べていると、妙なことに気づきます。
税金の話を調べていたはずなのに、いつの間にか、日本酒の醸造技術、酒蔵の組織化、地ビール、発泡酒、第三のビール、そして2026年以降のビール市場の話になっていくのです。
それくらい、日本では酒税と酒造業が密接に絡み合ってきました。
酒税は、単に酒の値段を高くする税金ではありませんでした。
誰が酒を造れるのか。何を造るのか。どんな技術を研究するのか。どんな商品がスーパーに並ぶのか。
そのすべてに、酒税が影響してきました。
そして酒造家も、国が決めた税金を黙って払ってきたわけではありません。
減税を求めて政府と戦いました。
勝てなければ政府と手を組みました。
国が決めた格付け制度に、商品そのもので反抗したこともあります。
そして1990年代以降は、酒税法の境界線を技術力で攻略し、発泡酒や第三のビールまで生み出しました。
日本の酒税史は、酒税を取りたい国家と、酒を造って商売したい酒造家が、600年以上にわたって付き合い方を変え続けてきた歴史でもあります。
そして2026年10月、その関係はまた大きく変わろうとしています。
酒は「禁止するもの」から「税金を取るもの」になった
酒への課税は、少なくとも室町時代まで遡ります。
その少し前、鎌倉幕府は酒をむしろ規制していました。
1252年の『吾妻鏡』には、鎌倉で酒の販売を禁止するにあたり、民家から申告された酒壺が37,274個あったという記録が残っています。
ところが室町幕府になると、酒に対する考え方が変わっていきます。
酒を禁止するだけではなく、酒から税金を取るようになります。
1371年には、酒屋が持つ酒壺1個につき200文を徴収。1393年には恒久的な「酒屋役」が成立しました。
現代なら350mlあたり何円と計算するところを、当時は「壺を何個持っているか」で税金を取っていたわけです。
一方、江戸幕府が1697年に導入した酒運上は、幕府収入の1%にも満たなかったとされ、1709年には廃止されています。
日本では古くから酒への課税が存在しました。
しかし、酒税が国家財政を左右するほど重要になるのは明治時代からです。
明治政府は、酒を国家の巨大な税源にした
近代国家を造るには、お金がかかります。
軍隊を整備する。役所をつくる。鉄道を敷く。戦争もする。
明治政府はさまざまな税を整備していきましたが、その中で急速に存在感を高めたのが酒税でした。
1880年の酒造税則では、酒造場1か所につき毎期30円の免許税を課し、製造量に対する税率も大幅に引き上げました。
増税は酒造家を圧迫します。
当然、反発が起きました。
酒造家は、淀川の船の上で「税金を下げろ」と話し合った
1881年、高知県の酒造家たちが政府に酒税の減額を請願しました。
しかし、却下されます。
そこで自由民権運動家の植木枝盛らが加わり、全国の酒造家による減税運動が計画されました。
翌1882年、大阪で「酒屋会議」を開こうとします。
ところが大阪府警が会議を禁止しました。
それでも酒造家たちは諦めません。
5月4日、全国から集まった代表者たちは、淀川に浮かべた船の上で酒税問題を協議しました。
その後京都へ移り、酒税軽減を政府へ求めることを決議します。
税務大学校の研究でも、この時期の運動は「反税闘争」と表現されています。
では、政府はどう答えたのでしょうか。
同じ1882年、酒造税は1石につき2円から4円へ倍増しました。
酒造家は「税金を下げてくれ」と運動しました。政府は上げました。
減税闘争としては、完全な敗北です。
しかし、この運動を契機に各地の酒造家の組織化が進みました。
そして興味深いことに、その組織は後に「政府と戦う組織」から、「政府と協力する組織」へ変わっていきます。
1899年、国税の35.5%が酒税だった
明治政府は、その後も酒税を引き上げていきます。
特に日清戦争後、軍備拡張や政府支出の増加を背景として、1896年から1901年までのわずか5年間に3回の増税が行われました。
そして1899年。酒税が国税収入に占めた割合は、35.5%。
地租を抜き、日本最大の国税となりました。
現在では想像しにくい数字です。
当時の政府にとって、酒造業は単なる一産業ではありませんでした。
酒蔵が酒を造り、売り、税金を納めることが、国家財政を支えていたのです。
同じ1899年には、自家用酒の製造も全面的に禁止されました。
国税庁の史料によれば、相次ぐ増税による酒価高騰もあり、その後は密造が増えています。
つまり政府から見れば、税金を払って造られる酒は重要な財源であり、課税されない酒は取り締まる対象でした。
酒造家と国家の距離が非常に近かった理由が見えてきます。
戦っても勝てない。酒造業界は政府と組み始める
明治前半、酒造家は増税に反対しました。
しかし何度反対しても、税率は上がりました。
そこで明治後半になると、酒造業界と税務行政の関係に変化が起こります。
1899年には酒造組合規則が制定されました。
かつて減税闘争の拠点となった酒造組合が、次第に税務署と協調しながら業界の秩序や品質向上を担うようになります。
なぜ、敵同士だったはずの両者が協力できたのでしょうか。
実は、利害が一致する部分がありました。
政府は酒税を安定して取りたい。
酒造家は、腐造を減らし、技術を高め、経営を安定させたい。
つまり、酒造業そのものが強くなれば、酒蔵は儲かり、政府も酒税を取れます。
税務大学校の研究は、この変化について、自家用酒の禁止や醸造法改良による「税源の涵養」という官民共通の利益を見いだしたことが大きかったと整理しています。
その関係を象徴する施設が、1904年に誕生しました。
政府は「酒税を守るため」に醸造技術を研究した
1904年、大蔵省に「醸造試験所」が設立されました。
現在の酒類総合研究所につながる研究機関です。
当時の清酒造りは、杜氏や蔵人の経験と勘に大きく依存していました。
醸造に失敗する「腐造」が起これば、一つの酒蔵が倒産するほどの損失になることもありました。
酒蔵にとって大問題なのは当然です。
しかし政府にも困る理由があります。
- 酒蔵が潰れる
- 酒が造れない。
- 酒税も取れない
当時の大蔵省主税局長・目賀田種太郎は、国税の柱だった酒税の「税源涵養」のため、国が醸造を科学的に研究し、その成果を酒造家へ指導する必要があると主張していました。
大蔵省の管轄下に醸造試験所が置かれた背景には、酒造技術と酒税行政が密接に結びついていたことがあります。
その後、醸造試験所では酒造講習が行われ、全国清酒品評会、全国新酒鑑評会へと発展していきました。
山廃酛や速醸酛につながる研究も行われ、日本酒の近代化に大きな役割を果たしています。
ここが、酒税史の面白いところだと思います。
酒税は、酒造家を苦しめただけではありません。
酒が巨大な税収源だったからこそ、政府は酒造技術そのものを強くすることにも本気になりました。
「高い税金を取る国家」と「税金を払う酒造家」が、品質向上では同じ方向を向くこともあったのです。
酒造業界は、政府と戦い、政府を頼り、制度を利用してきた
昭和に入ると、この関係はさらに複雑になります。
不況で過剰生産や値崩れが問題になると、今度は酒造業界側から生産統制を求める動きも出ました。
戦時体制に入れば、国家統制はさらに強まり、原料、生産量、価格、販売まで酒類産業は強い管理下に置かれます。
戦後には現在につながる酒税法が整備され、酒類業界の組合制度も作られました。
現在の業界団体の根拠法の名前も象徴的です。
「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律」。
酒造業界と酒税行政は、それほど制度的に近い関係にあります。
ただし、酒造家が国の制度を何でも受け入れたわけではありません。
1977年、日本酒業界で非常に面白い反乱が起きます。
「本当に鑑定するのは客だ」――一ノ蔵の無鑑査
当時の日本酒には、
- 特級
- 一級
- 二級
という級別制度がありました。
国の鑑定を受け、良い酒と認定されると特級や一級になります。
しかし上の級になるほど、酒税も高くなりました。
そこで宮城県の一ノ蔵は1977年、品質の高い本醸造酒をあえて国の鑑定に出さず、二級酒として発売しました。
「一ノ蔵 無鑑査本醸造」です。
ラベルには、「本当に鑑定なさるのはお飲みになるあなたご自身です」という趣旨の言葉まで記しました。
国に高品質と認めてもらい、その分高い酒税を払うのではなく、「酒の価値は飲み手が決めればいい」と商品そのもので制度に問題提起したのです。
級別制度はその後廃止され、1992年に完全になくなりました。
酒造家は、政府に陳情するだけではありません。
制度に適応した商品を造ることで、制度そのものを時代遅れにすることもできました。
そしてその2年後、日本のビール業界で、はるかに大規模な「酒税法への適応競争」が始まります。
1994年、酒税法がビール会社の「商品開発の仕様書」になった
1994年。
サントリーは「ホップス〈生〉」という商品を発売しました。
発泡酒です。
なぜ発泡酒を造ったのでしょうか。
サントリー自身の研究開発史に、かなり明快に書かれています。
低価格商品を開発するため、「価格に占める割合の高い酒税に着目」しました。
当時は原料に占める麦芽比率が67%以上ならビール。67%未満なら発泡酒となり、税率が下がりました。
ならば、麦芽を減らせばいい。
ただし麦芽を減らせば当然、味は変わります。
そこで原料、酵母、醸造技術を使い、麦芽を減らしても美味しいビール系飲料を造りました。
この商品が成功し、発泡酒市場が拡大します。
すると政府は税率を見直します。
メーカーはさらに麦芽比率を下げます。
また増税されます。
そして2003年、低麦芽の発泡酒も増税されました。
同じ2003年、サッポロは一部地域で「ドラフトワン」を発売します。
麦芽どころか麦も使わず、エンドウ豆などを原料にしました。
酒税法上はビールでも発泡酒でもない「雑酒」となり、税率をさらに下げられました。
翌2004年に全国発売。
いわゆる「第三のビール」の市場が始まります。
その後も、大豆たんぱくを使う。発泡酒にスピリッツを組み合わせる。
日本のメーカーは次々と新しい方法を開発しました。
- 税法が境界線を引く
- メーカーが技術でその境界線を越える
- 政府が境界線を書き直す
- メーカーがまた別の道を探す
30年近く、それが続きました。
この時代、酒税法は事実上、ビールメーカーにとって商品開発の仕様書の一つになっていました。
日本のビールメーカーは、技術力が低かったからガラパゴス化したのではない
優秀な研究者と巨大な研究開発力を持つ企業が、「どうすればもっと美味しいビールになるか」だけではなく、「どうすれば酒税法上ビールではないまま、ビールらしくできるか」という、日本の制度の中でしか意味を持たない難題にも長年取り組んできたこと。
これは、日本のビール産業、ビール愛好家としては、本当にもったいなかったと思います。
発泡酒や第三のビールを造った技術そのものを、私は低く評価していません。
麦芽を大幅に減らしても、ビールらしい味にする。
麦芽すら使わず、ビールを連想する香り、コク、色、泡、のどごしを造る。
例えば「キリン のどごし〈生〉」では、大豆たんぱくから生じる成分を利用し、味や香り、黄金色を引き出す独自技術まで開発されました。
かなり高度な技術です。
日本メーカーの技術力が低かったから、妙なビール風飲料が生まれたのではありません。
高度な技術力があったからこそ、酒税法が設定した厳しい制約条件の中でも、消費者が受け入れる商品を造れてしまったのです。
すごい。でも、もったいない。
そして、これは私一人の違和感でもありません。
経済学では「望ましくないイノベーション」とまで評価された
2012年、経済産業研究所(RIETI)で発表された慶田昌之氏の研究『ビールと発泡酒の税率と経済厚生』は、発泡酒についてかなり厳しい評価をしています。
研究では、ビールに偏って重い課税が行われたことで、低税率という価格優位を持つ発泡酒が生まれ、その結果として資源配分が歪んだと分析しました。
推計された経済厚生上の損失は約2,400億円です。
研究者がこうした商品開発を、税制によって誘発された、望ましくないイノベーションという問題として扱ったことです。
財務省自身も2017年度の酒税改正について、類似する酒類間の税率格差が「商品開発や販売数量に影響」を与えている状況を改めることを改革理由として挙げています。
政府自身が、税率差がメーカーの商品設計を動かしてきたことを認めているわけです。
さらに海外の研究では、日本の発泡酒・新ジャンルについて、国内需要は大きい一方、貿易がほとんどなく、日本独自の税制の中で発達した「ガラパゴス化」商品と評価するものもあります。
この指摘は、かなり重いと思います。
もし、この開発力が別の方向を向いていたら
ここからは、研究で証明された事実ではなく、私自身の意見です。
私は、この30年間を少しもったいなかったと思っています。
日本の大手ビールメーカーには、酒税法の隙間を突きながら、そこそこビールらしい飲料を大量生産できるほど高度な醸造技術がありました。
その能力のもっと大きな部分が、
- より美味しいビールを造ること
- 世界で売れる商品を造ること
- 新しいビアスタイルを生み出すこと
- 日本発の強いビールブランドを育てること
に振り向けられていたら、日本のビール産業はどうなっていたでしょうか。
もちろん、これはIFの話です。
発泡酒や第三のビールがなければ、日本のビールが世界市場を席巻していた、などとは言えません。
世界で勝つためには、味以外にもブランド、販売網、価格、生産体制、現地市場への適応など無数の条件があります。
それでも、日本国内の税制を攻略するためだけの開発競争が存在しなければ、別の技術競争が起きていた可能性はあります。
そう考えるのは、それほど突飛ではないと思います。
SOMPOインスティチュート・プラスも2025年、2026年の酒税一本化によって、これまで発泡酒や第三のビールに向けられていた開発リソースをビールへ振り向け、ガラパゴス化した商品開発から世界市場を見据えた商品開発へ注力できる可能性を指摘しています。
ただし、発泡酒を造ったメーカーが悪かったわけではない
ここは重要です。
メーカーが悪かった、という話ではありません。
消費者は安い商品を求めます。
一社が発泡酒を安く売っているのに、別の会社だけが高い酒税を払い続ければ価格競争で不利になります。
だからメーカーは低税率の商品を開発します。
それは企業として合理的です。
政府も、ビールから低税率商品へ市場が移り、酒税収入が減れば税制を見直します。
それも政府としては合理的です。
消費者も、味に大差がないと感じるなら数十円安い商品を買います。
それも合理的です。
全員がそれぞれ合理的に行動した結果、産業全体としてガラパゴスな商品開発競争が生まれました。
誰か一人を悪者にするより、この構造を見る方が面白いと思います。
制度は、人や企業の行動を変えます。
酒税の歴史は、その非常に分かりやすい例です。
2026年10月、30年以上続いたゲームが終わる
その構造が、2026年10月1日に大きく変わります。
ビール系飲料の酒税が、1kLあたり155,000円、350mlあたり54.25円に一本化されます。
2026年9月まで、通常のビールは350mlあたり63.35円。
麦芽比率25%未満の発泡酒や、旧新ジャンルに相当するカテゴリーは46.99円です。
10月から、この差がなくなります。
1994年以来の商品開発を動かしてきた、「ビールでなくせば酒税を下げられる」というインセンティブが、ほぼ消えます。
そして興味深いことに、制度変更を待たずして、すでに市場は動き始めています。
2024年には、家計調査ベースのビール消費数量が発泡酒・ビール系アルコール飲料を15年ぶりに上回りました。
酒税差が縮小するにつれて、「ビール回帰」が始まっています。
2026年10月には、その動きがさらに決定的になる可能性があります。
税金を下げるために麦芽を減らした商品が、味のために麦芽を増やす
象徴的なのが「金麦」と「本麒麟」です。
サントリーは2026年10月、金麦の麦芽使用比率を引き上げ、酒税区分を新ジャンルからビールへ変更します。
理由についてサントリー自身が、「さらなる美味しさを追求するため」と説明しています。
キリンも2026年11月、本麒麟を新ジャンルから麦100%の生ビールへ変更します。
麦本来のうまみを、より味わえる商品にするという説明です。
30年間の歴史を考えると、非常に象徴的です。
かつては、税金を下げるために麦芽を減らしました。
これからは、味を良くするために麦芽を増やせます。
税率が同じなら、麦芽を減らしてまで「ビールではない商品」を造る経済的な理由は薄くなります。
これだけでも、2026年の酒税改正は単なる税率変更ではないと思います。
「ビール・発泡酒・第三のビール」ではなく、「何を飲みたいか」で選ぶ市場へ
安いビール系飲料がなくなるわけではありません。
物価高の中で、「毎日飲める価格がいい」という需要は当然残ります。
実際、サントリーはビール化した金麦を、引き続き「エコノミー」需要へ応える商品として位置づけています。
大きく変わるのは、価格帯と酒税上の商品区分の結びつきです。
これまでは、
- ビール
- 発泡酒
- 第三のビール
という酒税法由来の分類が、そのまま価格差とかなり強く結びついていました。
これからは、
- プレミアムだから選ぶ
- 定番だから選ぶ
- 安いから選ぶ
- 糖質やアルコールなどの機能で選ぶ
といった、本来の消費者価値による競争へ移りやすくなります。
安く売るために、「ビールではない何か」を発明する必要がなくなる。
これは大きいと思います。
これからは、酒税法ではなく味と戦えばいい
室町幕府が酒壺の数を数えてから、600年以上。
日本の政府は、酒をどう分類し、誰に造らせ、いくら税金を取るかを考え続けてきました。
酒造家もまた、ただ従ってきたわけではありません。
減税を求めて淀川の船上で話し合いました。
勝てなければ政府と協力し、醸造技術を発展させました。
国が決めた級別に、一ノ蔵は「無鑑査」で問いを突きつけました。
そして大手ビールメーカーは、酒税法が引いた境界線を研究開発力で何度も乗り越え、発泡酒や第三のビールという日本独自の巨大市場まで造りました。
酒税は、酒からお金を取るだけの制度ではありませんでした。
日本でどんな酒が造られるかまで変えてきました。
その意味では、発泡酒や第三のビールも、日本のビール史から消すべき失敗作ではありません。
酒税という制約に対して、日本メーカーが驚異的な技術力で適応した結果として生まれた、極めて日本らしい商品だったのだと思います。
だからこそ私は、その技術力の次の使い道に期待したいです。
すでに酒税一本化を前に、ビール回帰は進んでいます。
金麦はビールになります。
本麒麟も麦100%の生ビールになります。
そして調査機関からは、発泡酒や第三のビールに向けられてきた開発リソースをビールへ振り向け、世界市場を見据えた商品開発を進められるとの見方も出ています。
これで日本のビールが必ず世界で勝てる、とは言えません。
ただ、一つの奇妙な制約は消えます。
税率を下げるために麦芽を減らす時代から、味を良くするために麦芽を増やす時代へ。
1994年以来、日本のビールメーカーは30年以上、酒税法の条文と戦ってきました。
これから戦う相手は、もう酒税法でなくていい。
- もっと美味しいビールを造ること
- まだ誰も造っていない味を生み出すこと
- 世界中のビールと競うこと
日本のビールメーカーが持つ開発力が、今度はそちらへ向かうのであれば。
2026年の酒税一本化は、単なる税制改正以上の意味を持つのかもしれません。
主な参考資料
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国税庁・税務大学校「明治の酒税」
-
国税庁・税務大学校「国税の第1位へ」
-
国税庁・税務大学校「醸造試験所設立の立役者」
-
国税庁・税務大学校『税務行政と共同体』
-
国税庁・税務大学校『酒税関係史料集』関連資料
-
日本酒造組合中央会「日本酒の歴史」
-
一ノ蔵「一ノ蔵 無鑑査について」
-
サントリー「研究開発100年の歴史」
-
キリン歴史ミュージアム「発泡酒・新ジャンルの登場」
-
慶田昌之『ビールと発泡酒の税率と経済厚生』
-
財務省「酒税に関する資料」
-
SOMPOインスティチュート・プラス「顕在化する酒税法改正の影響」
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SOMPOインスティチュート・プラス「酒税統一で強まるビール回帰」