アストローカは、0.00%のクラフトビールテイスト飲料をつくろうとしているメーカーです。
そんなブランドをつくっている私ですが、最初に一つ書いておきたいことがあります。
私は、これからも酒を飲みます。
美味しいクラフトビールがあれば飲みたいし、ウイスキーをストレートで飲むのも好きです。
友人と酒を飲んで、酔っ払って笑うのも嫌いではありません。
むしろ、昔から品行方正な酒飲みだったかといえば、まったく逆です。
今のASTROCA Journalでは、アルコールの健康影響について、ずいぶんと真面目な記事を書いています。
でも学生時代の自分を振り返ると、とてもそんな優等生ではありませんでした。
ピッチャーのビールを一気に飲んだこともある。記憶が飛んだこともある。吐くまで飲むことも珍しくなかったし、三日酔いになったことまであります。
今、人に勧めたい飲み方かと聞かれれば、もちろん違います。
短時間の多量飲酒には明確なリスクがあります。
ただ、「若かった。バカだった。全部後悔している」と綺麗にまとめるつもりもありません。
バカな飲み方だったし、楽しかった。
友人と酔っ払って、くだらないことで笑って、普段ならしないような話をして、夜中まで騒ぐ。
あの時間まで否定するつもりはありません。
それもまた、私にとって大切な思い出です。
では、そんな人間がなぜ0.00%のビールをつくろうとしているのか。
考えてみると、自分の中では昔から、
「酒を飲んで酔う楽しさ」と「飲み物として酒を味わう楽しさ」が、少し別のものだったからです。
私が好きだったのは、「一人で酔うこと」ではなかった
昔の飲み会を思い返すと、アルコールがいらなかったとは到底言えません。
- 友人と一緒に酔っ払う
- 少し理性が緩んで、普段よりよく喋る
- くだらないことで笑う
- その場の全員がだんだんおかしくなっていく
そこでは、アルコールによる酔いそのものが体験の一部でした。
だから私は、「酔うことには何の価値もない」とは思っていません。
ただ、不思議なくらい一人で酔いたいとは思わなかった。
一人でお酒を飲むときは、目的が違いました。
- ホップの香りを嗅ぐ。
- 麦芽の味を感じる。
- 苦味やボディを楽しむ。
- ウイスキーなら、グラスから立つ香りを取りながら、少しずつストレートで飲む。
こちらで楽しんでいるのは、酔って自分の状態を変えることより、飲み物そのものの味や香りです。
そして今、仕事を終えて一人で一日のスイッチを切りたい夜にも、ビールを飲みたくなります。
- 冷たいビールをグラスに注ぐ
- ホップの香りがする
- 苦味がある
- 一口飲んで、「今日も終わった」と思う
この時間は欲しい。
でも、そこで必ずしも酔いたいわけではありません。
友人と酔っ払うことは好きだ。
酒を味わうことも好きだ。
でも、一人で静かに過ごす夜にまで、酔いを求めているわけではない。
この違いは、アストローカを考えるうえでかなり重要でした。
アルコールは、ただ取り除けばいい邪魔者でもない
ここで、もう一つ誤解されたくないことがあります。
私はアルコールを、味の面でも「不要な成分」だとは思っていません。
これはウイスキーをストレートで飲むと、かなりよく分かります。
- 鼻に抜ける香り
- 舌や喉に感じる刺激
- 温感
- ボディや余韻
あの体験からアルコールだけを取り除いて、同じウイスキーになるとは思えません。
実際、エタノールは単に酔わせるだけではなく、飲料の官能特性にも関与します。ビールでも、温感やボディの知覚に影響し、香味全体の感じ方に関わります。
つまり、アルコールには、酒を美味しくする仕事もある。
これは0.00%をつくる側だからこそ、認めておくべきだと思っています。
アルコールを抜いても、味がそのまま残るわけではありません。
むしろ、アルコールをなくしたうえで、失われた香り、ボディ、刺激、余韻をどう組み直すか。
そこに0.00%のビールづくりの難しさがあります。
それでも、アルコールの健康リスクまで美化する必要はない
一方で、「酒を美味しくするのだから、アルコールは身体にも悪くないことにしよう」とはなりません。
美味しいことと、健康にいいことは別の話です。
私は酒が好きです。
だからといって、この部分まで酒を擁護する必要はないと思っています。
逆に、健康リスクがあるからといって、酒の楽しさまでなかったことにする必要もありません。
この二つは普通に両立します。
酒は、健康食品でなくていい
酒について考えていると、ときどき二郎系ラーメンや痛風鍋を思い出します。
これらを食べるときに、「これは健康にいいから食べている」と思っている人は、あまりいないでしょう。
それでも食べる。
なぜでしょう。
ガツンと美味しいからです。
私は、酒もそれくらい正直な嗜好品でいいと思っています。
身体にとって望ましくない部分がある。
でも、美味しい。
人と飲めば楽しい。
酔っ払うのも、ときには楽しい。
それで十分、酒を飲む理由になります。
人間は健康指標を最大化するためだけに生きているわけではありません。
だから私は、アルコールのリスクを伝えるときにも、「こんな危険なものは飲むべきではない」とは言いたくありません。
逆に、「酒は適度に飲めば健康にいいんです」と無理に弁護する必要もない。
健康にはコストがある。それを分かったうえで、それでも今日は飲みたい。
嗜好品との付き合い方として、それでいいと思っています。
でも、ビールが欲しいすべての夜に、アルコールが欲しいわけではない
ここでようやく、アストローカをつくる理由につながります。
酒を飲みたい夜なら、酒を飲めばいい。
問題は、ビールは飲みたいのに、アルコールは別に欲しくない夜です。
- 一人で静かに一日を終えたい
- 風呂上がりに一杯飲みたい
- 明日の朝は早い
- 運動した後に冷たいビールが欲しい
- 車を運転する
- すでに酒は十分飲んだけれど、もう一杯だけビールの味を楽しみたい
こういう場面は、意外と多い。
そのとき私が欲しいのは、「アルコールを我慢するための代用品」ではありません。
普通に美味しいから選びたくなる、0.00%のビールです。
ここが、私にとって重要です。
「今日は酒を飲んではいけない。だから仕方なくノンアルにしよう」ではない。
「今日は酔いはいらない。でも、美味しいビールは飲みたい」
その欲求に応える飲み物が欲しい。
そして、私が味、価格、入手性の全てで満足できるノンアルコールビールは、日本に存在しないのです。
だからこそ、自分で作らなければならないと思いました。
飲酒か、断酒か。その二択で考えなくていい
私は断酒を勧めたいわけではありません。
逆に、酒を大量に毎日飲み続けることを勧めたいわけでもありません。
- 金曜日は友人とクラフトビールを飲む
- 土曜日の夜は0.00%を飲む
- 日曜日は何も飲まない
それでいいと思っています。
アルコールを飲むかどうかと、ビールを楽しむかどうかを、別々に選べればいい。
結果として酒量が減ることはあるでしょう。
完全に酒をやめる人もいる。
普通に酒を飲みながら、平日の何杯かだけ0.00%に置き換える人もいる。
どれが正しいかを、アストローカが決める必要はありません。
アストローカがやりたいのは、「アルコールを選ばないなら、美味しさも諦めるしかない」という状況を変えることです。
だから私は、これからも普通のビールを飲む
そして、0.00%をつくるようになっても、私はアルコール入りのビールを飲み続けます。
まず単純に、美味しいからです。
もう一つ、商品開発者としても必要だと思っています。
クラフトビールの世界では、美味しさの基準が変わり続けています。
- ホップの品種が変わる
- 香りの出し方が変わる
- 苦味の設計が変わる
- ボディのつくり方が変わる
- 新しいスタイルが生まれ、昔からあるスタイルも更新されていく
その世界を飲まずに、0.00%だけを飲み続けていたらどうなるか。
私はいつか、「ノンアルとしては、美味しい」という枕詞がついた、閉じた基準に慣れてしまう気がします。
それは嫌です。
美味しいIPAを飲んだら、それを覚えておきたい。
美味しいベルジャンホワイトを飲んだら、それと比べたい。
ウイスキーを飲んでアルコールが香味にどう関わっているかを感じることも、0.00%を考える材料になる。
アストローカにとって、アルコール入りの酒は敵ではありません。
美味しさの基準を更新してくれる教師でもあります。
「ノンアルとして美味しい」では、足りない
0.00%には制約があります。
アルコールをなくせば、味は変わる。
普通のビールとまったく同じものをつくれるとは考えていません。
それでも、「ノンアルなんだから、このくらいで十分」とは思いたくない。
友人と集まって、今日は酒を飲んで酔っ払いたい。
そんな夜には、私も酒を飲みます。
でも、一人で静かに一日を終えたい夜。
- ビールの香りが欲しい
- 苦味が欲しい
- グラスに注いで、「一杯やる」という時間が欲しい
- でも、酔いまではいらない
私にとって、この二つは矛盾していません。
タイトルでは「ビールは好きだ。でも、アルコールが好きなわけではない」と書きました。
正確に言うなら、こうです。
アルコールが欲しい夜もある。
でも、ビールが欲しいすべての夜に、アルコールが欲しいわけではない。
その二つを、別々に選べるようにしたい。
そして、0.00%を選んだ日に、美味しさまで諦めなくていいようにしたい。
アストローカは、そのために0.00%をつくっています。