「酒は百薬の長」という言葉があります。
飲みすぎは身体に悪い。でも、少しくらいならむしろ健康に良い――。そんな意味で使われることも多い言葉です。
では、本当にそうなのでしょうか。
結論から言えば、「酒は百薬の長」を現代の健康法としてそのまま信じるのは難しいでしょう。
少量のお酒を飲む人が、まったく飲まない人より長生きしているように見える研究は、実際にあります。
「適量の酒は身体に良い」という考えに、まったく科学的根拠がなかったわけではありません。
しかし、研究方法が進歩するにつれて、重要な問題が見えてきました。
「少し飲む人が健康だった」ことと、「酒を飲んだから健康になった」ことは別です。
現在の研究からは、健康になることを目的に酒を飲み始める理由は見当たりません。
では、かつて「酒は健康に良い」と考えられたのはなぜなのか。そこから見ていきます。
「酒は百薬の長」は、もともと医学の言葉ではない
「酒は百薬の長」は、中国の歴史書『漢書』の「食貨志」に登場する言葉です。
前漢から皇位を奪って「新」を建てた王莽の時代、酒や塩、鉄などを国家が管理する政策の文脈で使われました。
つまり、もともとは現代医学の研究から生まれた健康標語ではありません。
それでも、この言葉が単なる昔の迷信として片づけられなかったのには理由があります。
後世の医学研究でも、本当に「少し飲む人が一番健康そうだ」という結果が繰り返し出たからです。
本当に「少し飲む人」が一番長生きしているように見えた
飲酒量と死亡リスクの研究では、長年よく知られた形があります。
Jカーブです。
酒をまったく飲まない人より、少量飲む人の死亡リスクが低く、そこから飲酒量が増えるほどリスクが上昇していく。
グラフにするとアルファベットの「J」のように見えます。
これは海外だけの話ではありません。
日本でも、6つの大規模コホート研究、合計30万9,082人をまとめた解析で、男性の総死亡などにJ字型・U字型の関係が確認されています。
つまり、「少量のお酒を飲む人は、飲まない人より長生きしている」というデータ自体は、本当に存在しました。
だから「昔の医学は根拠もなく酒を健康に良いと言っていた」と切り捨てるのも正確ではありません。
問題は、その次です。
「少し飲む人が健康」と「酒が健康にした」は同じではない
仮に、毎晩ワインを1杯飲む人が、酒を飲まない人より健康だったとします。
それだけで、ワインを飲んだから健康になったとは言えません。
例えば、毎晩ワインを1杯だけ楽しめる人は、
- 食生活に気をつけている
- 運動習慣がある
- 喫煙しない
- 健康診断を受けている
- 所得や教育水準が高い
といった別の特徴を持っているかもしれません。
研究ではこうした違いをできるだけ統計的に調整します。
しかし、人間の生活習慣を完全に揃えることはできません。
そして飲酒研究では、さらに厄介な問題があります。
「飲まない人」の中に、病気になって酒をやめた人がいた
「酒を飲まない人」と聞くと、一生ほとんど酒を飲んでこなかった人を想像するかもしれません。
ところが研究によっては、以前は飲んでいたものの、病気や体調悪化をきっかけに酒をやめた人まで「非飲酒者」に含まれています。
日本人を対象にした研究でも、元飲酒者は生涯非飲酒者より死亡リスクが高い傾向が確認されています。
すると、こんな現象が起こります。
- 病気や体調悪化
- 酒をやめる
- 「飲まない人」に分類される
- 飲まない人の死亡率が高く見える
- 相対的に少量飲酒者が健康に見える
これはsick-quitter effectと呼ばれる問題です。
重要なのは因果関係の向きです。
酒をやめたから不健康になったのではなく、不健康になったから酒をやめた可能性がある。
この違いを見落とすと、「飲まない人より飲む人のほうが健康」という結果を過大評価してしまいます。
「今も飲んでいる人」だけで比べると、景色が変わる
では、酒を飲まない人を比較対象から外したらどうなるのでしょうか。
現在お酒を飲んでいる人だけを、少なく飲む人と、多く飲む人で比較します。
日本の6コホート、30万人超をまとめた研究では、非飲酒者を含めるとJ字型・U字型の関係が見える一方、現在飲酒している人の中では、飲酒量が増えるにつれて死亡リスクも上昇しました。
別の日本人研究でも、現在飲酒者に限ると、飲酒量が増えるほど総死亡、がん、脳血管疾患などのリスクが上がる結果が報告されています。
ここは非常に重要です。
「飲まない人より少し飲む人が健康そうだ」という結果と、「飲んでいる人の中では少ないほうがリスクが小さい」という結果は、同時に成立します。
「百薬の長」を考えるなら、前者だけを見て結論を出すことはできません。
遺伝子を使って調べると、Jカーブが消えた
研究者たちはさらに、生活習慣の違いに左右されにくい方法でも飲酒の影響を調べています。
その一つが、アルコールを飲みやすい・飲みにくい体質に関係する遺伝的な違いを利用する研究です。
代表的なのが、2019年に医学誌『Lancet』に発表された、中国の約51万人を対象とした研究です。
まず、本人が申告した飲酒量と病気を普通に比較しました。
すると男性では、少量から中等量飲酒者の脳卒中や心筋梗塞のリスクが、非飲酒者や多量飲酒者より低く見えました。
またJカーブです。
ところが、ALDH2などアルコール摂取量に影響する遺伝的な違いを利用して分析すると、脳卒中に対する保護的な関係は消えました。
むしろ、遺伝的に予測される飲酒量が増えるほど、虚血性脳卒中や脳内出血のリスクが上昇しました。
つまり、普通に観察すると「少し飲むと健康に良さそう」に見える。
しかし別の方法で因果関係に迫ると、その健康効果が消える。
これは、Jカーブをそのまま「酒の薬効」と解釈できないことをよく示しています。
それでも「Jカーブは全部ウソ」とまでは言えない
ここまで読むと、「じゃあJカーブは全部、統計の錯覚だったのか」と思うかもしれません。
そこまで断定するのも早計です。
現在でも、少量飲酒者の総死亡や一部の心血管疾患が非飲酒者より少ないという観察研究は存在します。
2025年に米国National Academiesが行ったレビューでも、適量飲酒者の総死亡や心血管死亡が生涯非飲酒者より低いという関連は認められています。
問題は、その関連がアルコールそのものの因果効果なのかです。
2023年に107コホート、約484万人をまとめたメタ解析では、元飲酒者の扱いや研究上のバイアスを補正すると、低量飲酒者の総死亡リスクは、生涯非飲酒者より統計学的に有意には低くなりませんでした。
つまり現在の論点は、「Jカーブが存在するか」ではなく、「Jカーブのどこまでが酒そのものの作用なのか」に移っています。
「酒は心臓に良い」は、かなり単純化された説明
適量飲酒のメリットとして、長く語られてきたのが心血管疾患です。
実際、アルコール摂取によってHDLコレステロールが上昇するなど、心血管系に有利に働きそうな変化は知られています。
心筋梗塞についても、少量飲酒者のリスクが低いという観察研究はあります。
一方、
- 高血圧
- 脳卒中
- 心不全
などでは、飲酒量が増えるほどリスクが高くなる研究があります。
先ほどの中国約51万人の遺伝疫学研究でも、飲酒量が増えるほど血圧、虚血性脳卒中、脳内出血のリスクは上昇しました。
心筋梗塞については、明確な保護効果も有害効果も確認されませんでした。
要するに、「アルコールは心臓に良い」とまとめること自体がかなり乱暴です。
心筋梗塞、脳卒中、高血圧、心不全は、それぞれ違う病気だからです。
がんまで含めると、「百薬の長」はさらに成立しにくい
健康全体を考えるなら、心血管疾患だけを見ることもできません。
アルコール飲料は、国際がん研究機関(IARC)によって、ヒトに対する発がん性が確認されているGroup 1に分類されています。
アルコールとの因果関係が確立しているがんには、
- 口腔がん
- 咽頭がん
- 喉頭がん
- 食道がん
- 肝がん
- 大腸がん
- 女性の乳がん
などがあります。
日本人研究でも、大腸がんなどでは飲酒量が増えるほどリスクが上昇する結果が確認されています。
ここで大切なのは、「少量飲酒が一部の病気に有利かもしれない」と、「酒が総合的に健康に良い」はまったく別の主張だということです。
一つの病気に有利な関連があっても、別の病気のリスクが上がるのであれば、「百薬の長」と一言でまとめることはできません。
「安全な飲酒量はない」は、「一口でも危険」という意味ではない
WHOは、健康へのリスクが完全にゼロになる「安全な飲酒量」は設定できないという立場を示しています。
特に発がんリスクについて、「この量以下ならリスクがない」と確認された閾値はありません。
ただし、この表現は誤解されやすい。
「安全量が設定できない」と、「一口飲んだだけで大きな健康被害が出る」は別です。
多くのアルコール関連リスクは、飲酒量が増えるほど大きくなります。
アルコールによる健康被害の多くを占めるのも、大量飲酒です。
したがって、「少量でも大量飲酒と同じくらい危険」という意味ではありません。
正確には、少量ならリスクは小さくても、「ここまでなら健康上のリスクが完全にゼロ」と言える線は引けないということです。
「適量」という言葉にも注意が必要
日本では「1日あたり純アルコール20g」といった数字を目にすることがあります。
例えば5%のビール500mLには、純アルコールが約20g含まれます。
純アルコール量は、飲酒量(mL)×アルコール度数×0.8で概算できます。
また厚生労働省は、生活習慣病のリスクを高める飲酒量として、1日あたりの純アルコール量が男性40g以上、女性20g以上という指標を使っています。
ただし厚生労働省自身が明記している通り、男性40g、女性20gは「ここまでなら安全」という許容量ではありません。
まして、「この量なら健康に良い」という意味でもありません。
「適量」という言葉は便利ですが、健康に良い量、安全が保証された量、飲んでも問題がない量という意味で使わないほうが正確です。
じゃあ、毎日飲むよう勧められている「養命酒」は?
「酒は百薬の長」と聞いて、薬用養命酒を思い浮かべる人もいるでしょう。
薬用養命酒はアルコール分14%。成人の用法・用量は、1回20mLを1日3回です。
1日60mL飲むと、純アルコール量は、60mL × 14% × 0.8 ≒ 6.7gになります。
5%のビールなら約170mLに含まれるアルコール量です。
「毎日アルコールを飲むよう勧められているなら、やっぱり酒は身体に良いのでは?」と思うかもしれません。
ただし、養命酒には決定的に違う点があります。
薬用養命酒は、一般的な酒ではなく第2類医薬品です。
14種類の生薬を配合した製剤として、「胃腸虚弱」「食欲不振」「冷え症」「肉体疲労」などへの効能・効果が認められています。
認められているのは、「毎日6.7gのエタノールを摂ると健康になる」という効能ではありません。
アルコールを含む医薬品を、特定の症状に対して用法・用量どおり服用することと、
健康な人が、「アルコールは身体に良いから」という理由で毎日酒を飲むことは、分けて考える必要があります。
養命酒が存在することは、「アルコールそのものが百薬の長」である証明にはなりません。
健康のために酒を飲み始めるべきか
ここまで来ると、最初の問いにはかなりシンプルに答えられます。
健康のために、酒を飲み始める必要はありません。
少量飲酒者が非飲酒者より健康そうに見える研究は、今もあります。
しかし、
- 病気で酒をやめた元飲酒者
- 運動や食生活などの生活習慣
- 喫煙
- 社会経済的な違い
- 観察研究では取り切れない交絡
を厳密に扱うほど、「少量のアルコールそのものが寿命を延ばす」という説明は弱くなります。
一方で、がん、高血圧、脳卒中などとの関係は無視できません。
だから現在の研究から、「身体のために毎日少し酒を飲んだほうがいい」とは言えません。
すでに飲まない人が、「健康に良いらしいから」という理由で酒を飲み始める必要はない。
ここはかなり明確です。
ただ、酒を楽しむことまで否定する話ではない
ここは別の話です。
ビールが好きだから飲む。
ワインと料理を合わせたいから飲む。
友人と乾杯したいから飲む。
一日の終わりの一杯を楽しむ。
酒には味や香り、食文化、人との時間など、健康指標だけでは測れない価値があります。
この記事は、それを否定するものではありません。
ただし、「身体に良いから飲む」という健康上の理由として「酒は百薬の長」を使うのは、現在の科学とは合いにくくなっています。
「酒は百薬の長」は本当? 現在の答え
「酒は百薬の長」は、単なる昔の迷信として片づけられる言葉ではありません。
実際に、少量のお酒を飲む人が長生きしているように見える研究が数多くあり、医学の世界でも「適量飲酒には健康上のメリットがあるのではないか」と真剣に研究されてきました。
しかし研究が進むにつれて、「少量飲酒者が健康だった」ことと、「酒を飲んだから健康になった」ことを分けて考えなければならないと分かってきました。
Jカーブが全部ウソだったわけではない。
ただ、そこから「酒には薬のような健康効果がある」と結論づける根拠は、以前よりかなり弱くなっています。
だから現在の答えは、「酒は健康のために飲むものではない」くらいがちょうどいいでしょう。
酒を飲むなら、「百薬の長だから」ではなく、酒が好きだから飲む。
そして飲まない日には、飲まない。
2000年以上生き残ってきた「酒は百薬の長」という言葉も、現代ではそのくらいの距離感で受け取るのがよさそうです。
[参考文献]
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- 厚生労働省「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」2024年.
- International Agency for Research on Cancer. Alcohol and cancer.
- World Health Organization Regional Office for Europe. No level of alcohol consumption is safe for our health.
- 養命酒製造株式会社「薬用養命酒」商品・医薬品情報.
- コトバンク「酒は百薬の長」〔『漢書』食貨志〕.